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鐘江先生は今!?

 私たちが2年生の時からお世話になった3-7担任の鐘江先生です! 平成5年度からは福高の教頭先生をお務めになり、その後、校長先生になってご退職になられています。
 7組卒業生を代表して平尾貴範と高倉浩之の二人で、2004年12月26日(日)のお昼前、早良区賀茂のご自宅を訪ねて来ました。
 卒業アルバムを見ながら、当時の先生や私たちの同級生の顔や名前を思い出しては、懐かしそうに話をされるその柔和な表情は、当時と全く変わりません。何人かの先生方が今どうしてるかを教えていただいたり、逆にこちらが聞かれたり。行方が分からなくなっている同級生には、本当に心配をされている姿が印象的でした。

―お久しぶりです。
鐘ヶ江先生(以下、鐘):今年の正月の学年同窓会以来かな。
―お元気そうで何よりです。この春から、また現場に復帰されたとか。
鐘:そう、筑紫女学園高に非常勤で。国語を教えています。
―もう僕らが卒業して15年以上が経ちますが、あれからどのような経歴をたどられたんですか。
鐘:君たちが卒業したあと、すぐ1年生の担任になったんだよ。学年主任として、そのまま卒業まで3年間いっしょに(44回生)。その後教頭に昇任になって、それからは2年ごと位に異動になった。珍しいところでは、交流事業というのがあって前原東中学校に校長として行ったこともあるね。福岡高等聾(ろう)学校や西福岡高校を経て、最後は玄洋高校の校長として、2001年の3月に定年退職になりました。
―福高時代の思い出としてはどんなものがありますか。
鐘:福高は7年しかいなかったんだけどね。教員としてちょうど脂が乗り切ったころだったし、今でも思い出がいっぱいあるね。僕は案外担任はしてないのよね。卒業生を送り出したのは5回しかなくて、そのうち2回が福高。福高に来てすぐ担任を持ったのが、君たちが2年の時だから、君たちの学年はよく覚えてるよ。福高では何といっても体育祭。やはり「やる時はやる」という集中力は学校の校風かな。山笠的というか、博多的な気風というか、ここぞという時は学年が一致団結するところが素晴らしかった。修猷館ともまた違った感じじゃないかな。
―先生は部活の顧問はされてましたっけ。
鐘:演劇部と新聞部の副顧問だったね。演劇部は、顧問の長濱先生が熱心で、ちょうど君たちのころ位が実力的にピークだった。部活はやっぱり顧問次第だから。確か全国大会にもう少しのところまで行ったんじゃなかったかな。
―さて僕らの3年7組ですが、大変手を焼かれたんじゃなかったかと思います。正直言って、僕(高倉)も当時はいっちょん好かんかったですもん、あのクラス。
鐘:確かにまとまりがなかったなあ(笑)。でも、どうしても文系はあんな感じになるよ。良くいえば「情緒面が豊か」、悪くいえば感情の起伏が激しいというか。受験生だから、あまり細かく言い過ぎてもいけないけど、僕としては3年の1学期は結構手を入れたつもり。そのあと力尽きたけど(爆笑)。
―個性的というか、勝手な奴が多かったですもんね。
鐘:(卒業アルバムの授業風景の写真を見ながら、名前を一人一人正確に挙げる先生。その記憶力には、教師の偉大さをあらためて感じます)教科書も開かんで、寝てばっかりのが多かったなあ、○○とか、○○とか・・・(名前はあえて伏せておきます)。でも君たちも、学年としてはそれなりにまとまっていたよ。早川先生や、岩熊先生たちがうまくリードされて。特に大きな出来事もなかったしね。君たちの後輩は、校舎の改築工事で結構苦労したとよ。
―さすがに当時の先生方も、あちこち異動されましたよね。
鐘:岩熊先生はまだ福高でしょう。ああいうタイプだから、福高にはなくてはならない存在だろうし、藤先生(校長)も手放せないんじゃないかな。それ以外の先生は、もちろん他の学校に異動になって教えている人もいるけど、定年になったり、教師を辞めたり、亡くなった人もいるから、当時の先生でまだ教壇に立っている人は半分くらいしかいないんじゃないかな。
―「とうさん、とうさん」って親しみを込めて呼ばれてたあの藤先生が校長ですもんね。
鐘:今年の学年同窓会でも、誰か藤先生を盛んにほめてる子がいたけど、藤先生で覚えているのは、確か彼は篠栗のほうに住んでいて、地元の消防団に入って地域でも活躍されてるという話を聞いたことがあるね。ふつう、勤め人は地域活動までするのはかなり難しいけど、やっぱり立派ですよね。
―早川先生といえば、生徒指導。制服や福高生の雰囲気も、だいぶ変わりましたよね。学帽もなくなりましたし。
鐘:当時早川先生が、「女子のネクタイの長さは、うどんを食べる時に汁に漬かる位じゃないとイカン!」って、例の早口で一生懸命言ってたのをよく覚えてますね(笑)。制服も、もうだいぶ前に変わったよ。
―で、また今どきの高校生を教えてらっしゃるわけですね。警固に通われてるんですよね。
鐘:いまはバスで30分くらいだけど、地下鉄の駅が家からすぐのところにできるから、桜坂まで乗ればすごく便利になる。ここに来た25年ぐらい前は田んぼしかなかったけど、環状線ができたり、この辺もだいぶ変わったね。
―失礼ですがご家族の方はどうされているんですか。
鐘:息子二人と娘一人。長男は君たちと同い年くらいで就職もしてるけど、みんなまだ独身。娘は最近、パリへのピアノ留学から帰ってきたばかり。プロ?いやいや、そんな甘いもんじゃないよ、とてもそこまでは力量不足。(※注:とはいえ、娘の裕子さんは留学中に西日本新聞パリ支局の取材を受け、昨年記事にも載りました。)僕も定年になって2年後に大病を患って、手術したり大変だったけど、一応今は体力もついたし、この通り。最近は休みの日に夫婦二人で旅行や近場にドライブに行ったりが趣味になっています。
―本当に、お顔の色もよくて、元気になられてよかったです。お正月の学年同窓会にもぜひ来てください。これから午後は、福高記念館で学年同窓会の準備がありますので、これで失礼します。今日はありがとうございました。
鐘:どうせお昼は食べるんでしょ。ちょっと出前とってるから食べていきなさい。
―えっ・・・、そうですか、じゃあせっかくですからいただいて行きます!
(了)


ということで、二人でお寿司をご馳走になってしまいました。
年末のお忙しいところ、本当にありがとうございました。
そして、ごちそうさまでした!(編集:高倉)

04 あの人は今!?  posted on 2005年07月15日 : コメント (0)

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