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木下先生&隆世先生は今!?

 2004年当時、修猷館高校でご活躍中の木下先生と田中先生のところにインタビューにおじゃましました。体育祭の準備のまっただ中、とてもお忙しいはずの中で快くインタビューに応じてくださいました。

 では、どうぞ~♪

寺:こんにちは。(といって、録音機材の準備にかかったところ、お二人で福高時代のお話が盛り上がって・・・。録音してなかったし、きちんと聞いてなかったので途中からになってますが…。)
木:私はタイプライターをずっと使ってたんですよ。でも福高に行った時にワープロで打ってみようということで打ってみたんだけどね。まだ画面が何行かしかなかった時代ですよ。ブラザーのワープロでしたけど。夜遅くまでかかってね。そしたらミスがあって。いや、あんな失敗したのは初めてでしたね。使い慣れないワープロで定期考査の問題を作ったおかげで、修正だらけで、テストの見回りが北村先生のクラスで終わってね。(苦笑)
隆:じゃぁ、9組、10組は回れなかったんですか?(笑)
木:そうなんですよ。
(ここでワープロとかパソコンの話でひとしきり盛り上がりました…)
寺:さて、本題に入らせて頂きますね。まず、先生方の福高に来られる前と、私たちの卒業後の経歴を教えて頂けますか?では、木下先生。
木:いや私はメモ帳を持ってこないと、まったく覚えていないから田中先生からお先にどうぞ。(笑)(といって退出)
隆:私は福高に8年いて、えっと何年からいたかっていうと、よく覚えていないんだけど・・・
寺:あっと、まだ松尾先生というお名前で福高に赴任されたんでしたよね。
隆:えぇ?それがいる?(笑)えっと、あなたたちが入学した年に赴任したんですよ。その時は2年生の副任だったんだけど。
寺:えっと昭和61年に福高に。そしてその前は・・・
隆:明善高校。明善で新採で・・・。こんなところまで話したら歳ばれるじゃない!(笑)
寺:いや、もうばれてますからいいじゃないですか。(笑)
隆:まぁいいや、そして福高に来て2年目で、あなた達の担任に入ったわけね。
寺:えっ?先生、2年の時も担任団にいらっしゃったんですか?(寺田無知…)
隆:そうそう。吉田恭子ちゃんが戻ってきた時よ。
寺:何組の担任だったんですか?
隆:えっと・・・???そうそう、文系だった。え・・・文系・・・
寺:いや、私たちの時は文系理系は分かれていなかったんで
隆:あそうか、みんな物理だったのね。
寺:で、何組だったんですか?
隆:えっとね、2階だった。正門に一番近い教室。(苦笑)
寺:6組ですね。(笑)
隆:かな?(笑)
寺:クラスの子たちはおぼえてるんだけどね。そういえば校誌福高に機関銃を乱射しているイラストを描かれたのよ。新聞記者になった・・・高倉君に!(笑)
隆:で、3-8ね。
寺:2-6はどんなクラスだったんですか?
隆:すごく活気があって・・・女の子たちが牛耳っててね。お姉様たちが。(笑)しっかりしたクラス。
寺:一方、3年に上がってみたら・・・(笑)
隆:(苦笑)いやぁおとなしかったよね~
寺:おとなしかったというか・・・。個性がぶつかり合って、お互いに牽制してたというか・・・。(寺田の個人的感想)
隆:本当におとなしかったもんね。個性が強かったのかな。卒業してみるとね、みんなそれぞれ、すごくいろんなところで活躍してるみたいでね。芯が強かったんだよね。
寺:後になってみると・・・
隆:いや、でもなんかね、最後になる頃、あぁこの人たちは本当に力があるんだなって思ったわね。
寺:聞いていいのかどうか迷うんですが、先生、秋を過ぎて体を壊されましたよね。
隆:秋というか、もう冬だったかな。秋頃から危なかったんですよ。なんとかごまかしてたんだけど。治療もしてたし。でも、ぼこって感じで。(笑)
寺:やっぱりあれは3-8の担任での心労ですか?(笑)
隆:いや、心労はそんなになかったんだけど。(笑)結婚して、そっちも一生懸命やろうとして、そして覚えてる?あの年は夜8時まで居残り学習があったのよ。担任が週に2回残ってたのよ。担任だけ。で、家のこともちゃんとやろうとして、学校も忙しくて、寝る暇がなくて。眠たいのをがまんするためにコーヒーを飲んで、飲み過ぎて、薬も・・・。だから心労じゃないのよ。(笑)
寺:それはお疲れ様でした・・・。あのとき、松本先生が代行してくださってたんですよね。ただ、その時期の「先生がいらっしゃらなかった」っていう記憶っていうのはあんまり残ってないんですよ。考えてみたら「あぁいなかったな」ぐらいで。
隆:だから、みんな自分の道があるから。(笑)担任がいようといまいと関係ないのよ。(笑)でも、本当にごめんなさいってみんなに言っておいて!
寺:そして、私たちが教育実習に行った年まで福高にいらっしゃったんですよね。その後、修猷館通信制に。
隆:そうそうでも、閉過程になってね。青松高校ができちゃったから、定時制が閉じちゃって。3年でまた転勤になって。その後、城南高校から、今の修猷館に。
寺:修猷館が2年目なんですか。
隆:そう去年からね。
木:田中先生はここは2年目ですか。(※話の最中に席に戻ってこられました。ちなみに、木下先生はご退職後しばらくお休みになった後、今年から修猷館に講師としてご活躍中です。)
寺:木下先生はいかがですか?先生は、私たちが2年生の時に赴任してこられて、担任団に入られたんですよね?
木:そうだね。城南高校から転勤になって、昭和62年に福高に。2年のクラスでは、稲垣君とか井町君とか・・女の子では、石黒さん、稲永さん、・・・(多数列挙につき省略ごめんなさい)・・・で、渡辺真理子さんね。
隆:じゃあ3年8組の子たちは、かなり先生のところから来てたんですね。この子たちはおとなしかったですよね。先生のクラスは授業中でもすごくおとなしかったもん。
木:そうですね。渡辺真理子さんなんかにぎやかな方でしたけどね。(このあとも、一人一人についてのエピソードが続きました。すみません。省略します。)で、福高は8年いましたかね。
隆:先生、私と同じ時に異動しましたよね?
木:えっと、そうですかね?平成6年に修猷館に転勤になったんですよ。7年いたんですよ。
隆:あ、やっぱり同じ年ですよ。
寺:でも、木下先生は私たちが教育実習に行った次の年までおられましたよね?
隆:私がいなかったのは育休だったから。そうそう。育休のまま転勤しちゃったのよ。
木:そうでしたね。それで7年しかいなかったんだけど、福高でお世話になった間に、3回も卒業生のクラスを持たせてもらってね。ありがたかったですね。
寺:ありがたいんですか?
木:そうね、3年生を卒業させるってのは、大変だって言うけどね、やっぱり記憶に残るしね。1,2年だけ持って、3年生が急になくなってしまうとね、鳶に油揚げをさらわれるみたいな感じでね。(笑)
寺:その3回卒業させたなかで、私たちの学年はどういう印象がありましたか?
木:1年生の時から持ち上がってないから、その意味では申し訳なかったかなと思うけどね。次の担任を持った時は1年から3年まで持ち上がったんだけど、その学年と印象というか残り方は変わらないよね。まぁしっかりした学年でしたね。福高という学校はおもしろいなぁというか、すごいなぁというか、整備委員会とか統制委員会とか自分たちでちゃんとやるやろ。全員掃除もあるし。だけど生徒たちは逃げ回りよるのも多かったけど。特に女の子の中には逃げ回って油売っている子も多かった。(笑)あと、体育祭の後に酒飲んで処分食らったっていうのがね。自分の
クラスから。(笑)男の子のところにも、女の子のところにも家庭訪問にいってね。そのほかには、田中先生もおっしゃったけど、8時までの居残り学習ね。
隆:あれは保護者の居残り承諾書がいりましたもんね。
木:福高は夜の下校指導も統制委員会がしっかりやりよったですもんね。みんなびびり上がりよったがね。
隆:2年生の時は波多江君がやってましたよね。大変そうでしたね。生徒が生徒に向かってなんやかんや言わなきゃいかんで。彼は気持ちがやさしかったから・・・。
木:そうねぇ。でもそこらへんも福高はすごかったね。
寺:田中先生は、学校というか学年の印象ってどんな感じでしか?
隆:そうねぇ。個性キラリって感じかな。みんな自分のことをしっかり考えてるんだなって。みんな自分たちのことにしっかり没頭できて。先生たちも、逐一しっかり生徒の動きとか分かってるんだけど、後ろで見てる感じで。まぁ生徒が自分で楽しんでるからいいのかなって。とやかく言われたくないやろっていう気持ちもあったし。
木:福高は、行事なんかでは先生たちの関わり方もしっかりしていましたね。学年の先生たちと中嶋先生とか生徒会の先生たちとが、後ろではすごくしっかりと連携してね。そういう意味でもしっかりとした教育ができているというか。
木:あと、印象に残ってるのがね卒業式ね。式が終わった後に正門を出て行くまでの道ね。よかったよね。
あぁそれから、保護者会の時、生徒と保護者が並んで座りよったやろ。あれはすごいと思ったよ!
隆:子どもはイヤですよね。(笑)
木:そうでしょうね。でも、3年生になっても保護者がしっかり参加して、子どもと並んで受けられるっていうのはすごいことですよね。そういう部分でも生徒と学校と保護者の信頼関係というかね、すごかったよね。
寺:成績表も生徒に渡さず、直接保護者宛に郵送されてましたよね。
隆:そうそう。送ってましたよね。(笑)
木:それからもう1つ。3年生の時、3クラス無欠席だったよね。北村先生のクラスと熊谷先生のクラスと、うちと
寺:あの学年は、1年の時からすごかったですからね。(笑)成績と出席率は比例するって。
木:普通はね、1週間ですら誰も休まないっていうのは難しいことだから。
隆:あ、それ(右の写真→)は記念の・・・
木:そう。こういうのを生徒に記念に。これは文字が大きいんですよ。これは、君たちが年取った時に役立つように、と。持っていてくれてるかな。どうかな。(笑)
寺:学年全体では盾が贈られましたよね。
木:あと舛添先生が書かれた賞状ね。
隆:あれは学校じゃなくて、学年で贈ったんですよね。学年で力を入れてきたからって。普段もね、みんなの出欠状況を書く黒板に「欠席:1」とか書くと怒られたもんね。「こら、朝から欠席とか書くな!」って。(笑)「電話かけたか!」「昼から来る!」とか。
木:毎日パーフェクトっていうのが自慢の早川学年だったからね。
寺:筧先生から「おまえらの学年は九大合格者数とか成績もすごかったぞ」って言われたことがあるんですが、そんなにすごかったんですかね。九大ってあんまり受験してるやつがいなかったようにも思ったんですが。
隆:うちのクラスが少なかったからじゃない?(笑)
寺:まぁいろいろ鍛えられたのは確かですよね。
隆:オールナイト補習も、やるかやらないかっていう学年会、覚えていますよ~。あれ自体、どれくらい成果とかあったのかわからないけど。(笑)イベントとしては意味があったのかな。
木:ぜんざいは覚えとるけどね。(笑)
隆:あの学年は、学年団(先生たち)もまとまりというか、あったんじゃないのかな。みんなで無欠席でいこうとかいうこともあったし。生徒もそうだったんじゃない?学年会もたくさんやってたし。
寺:先頭に立ってくれるキャラクターもいたし。
隆:裏方で支える人たちもたくさんいたし。
寺:ところで、みんなが社会人になってから同窓会ってありました?
木:記憶がないないねぇ。それこそ音頭をとる人がいないんじゃないかな。みんなおとなしかったからね。
団長だった雲平は、学年の同窓会では顔あわせたけどね。
隆:そういえば、今年の1月に学年の同窓会があったんですよね?寺田君からの年賀状に「お会いできるのを・・・」って書いてあるのみて「何のこと?」って思ったもん。来た葉書をね、チビたちが自分のだけを持って行って、ほかの葉書はぐっちゃぐっちゃにするもんだから、届いていたのかもしれないけど。
寺:あ、すみません。時間がずいぶんたってしまいましたね。では、同窓会の話が出たところで来年のお約束を取り付けて終わりにさせてください。では、木下先生からどうぞ。
>>木下先生からのメッセージ  ◇  隆代先生からのメッセージ
寺:お忙しいところ、どうもありがとうございました!

04 あの人は今!?  posted on 2005年07月15日 : コメント (0)

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