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早川先生は今!?

 早川先生のご登場です。入学時から2年間、本当にお世話になりました。3年進級時に栄転ってことではありましたが、異動になられたのは残念でしたねぇ・・・。

 「年を追うごとに若くなる」とウワサの早川先生、どうぞ~♪

寺:こんにちは。お忙しいところ、どうもすみません。
早:いやいや、今日は比較的時間があったからね。
寺:先生は、福高からどちらに赴任なさったんですか?
早:浮羽高校にね。君らが2年生の、あのスキー教室にいって、「これからがんばるぞ」って、講堂に集まったやろうが。あのすぐ後に転勤の内示があったもんね。
寺:そうか、まさにスキー合宿の直後に転勤の辞令(内示)が出てしまうんですよね。それで、浮羽高校の後は…?
早:えぇっと、浮羽に2年おって、その次が須恵高校に2年かな。それから、平成4年から久留米聾学校の校長になったったいな。そして、平成6年が春日高校に1年だけ。そして、平成7年、8年が教育委員会。ちょうどお前が採用された時だな。熊さん(熊谷先生)も一緒におったったいな。う~ん、残念やったね。熊さんは。その後に、城南に行って定年になったんやな。
寺:あぁ、城南が最後でしたか。私が高校教師の研修会に参加した時に、城南高校校長早川先生っていう紹介でご挨拶なさってましたね。
早:あぁそうそう。そして、定年になった後、すぐにココ(東福岡高校)にお世話になったったい。先輩からの紹介があったもんだからね。
寺:じゃぁ東福岡は長いんですか?
早:今年で6年目たい。
寺:授業はなさってないんですよね?
早:そう。君らが最後たい。授業したのは。もうしきらんね。授業は。今も先生達の授業を見てきたんやけど、やりようのを見たり、意見を言ったりするのはできるたいね。でも、じゃぁ自分でやれって言われたらね・・・。(笑)
寺:授業をなさってた頃と、管理職あるいは現在のような立場(ちなみに総務部長でいらっしゃいます)とではいかがですか?仕事の内容がかなり違うと思うんですが、どちらが肌に合ってますか?
早:やっぱり生徒と取っ組み合いしながらね、やりよった方が楽しかったね。君らにもね、いろいろ言うたけどね。(笑)でも、まぁ学年としてまとまってね、福高に来て良かったって思えるようにね、言わないかんかったしね。一人でも進路を間違っちゃいかんしね。切磋琢磨やったかな、学年のスローガンは。しかし、君らは本当にね、まとまってくれて、よかったよね。先生達も一生懸命やったしね。僕も、最後までって思ってたんだけど、命令だから仕方ないね。
寺:生徒としては、何で3年生になる時に異動なの?ってビックリしてましたよ。
早:まぁ、県として人事を考えるからな、一人一人の事情は考慮されないからな。
寺:それで、先生にとって41回生は最後の担任生徒ということになるんですよね。いかがでしたか、41回生は?
早:そうね、僕は福高に11年間お世話になったんだけどね、卒業するまで3年間持ったのは1回きりなんよ。それで、今回はって、さぁって思ってたらな。(笑)それで、41回生っていうのは、まぁ学年担任団と保護者と君たち生徒と、一丸となっててね。先生達と保護者がお互いに理解をしながら、真ん中に生徒達を置いて、一生懸命に関わっていきましょうと、そういうふうにやってきたんだよね。やっぱ君らも、我々の気持ちを分かっててくれたしね。
寺:生徒は分かってたんですかね?
早:いや、分かってくれてたと思うよ。(笑)ほんとによくまとまってくれてたよ。
寺:確かにみんな学校には来てましたね。(笑)生徒の方としては何より『学校出てこい』っていうのを、とにかく言われてたな~っていう印象が強いですね。(笑)
早:そうそうそう。熊さんのクラスやらずっと無欠席やったろうが。そういうね、先生達も君たちもやってやろうっていうのがあったね。そういう意味で、生徒と先生の関係が「こうあるべき」っていうモデル的なものだったと思うよ。う~ん、なんかこう、男クラを先頭にね、びしっとやってくれたしね。体育祭の7ピラでもキチっとやってくれたし、体験学習も我々がなんも言わなくても、しっかりやってくれたし。やっぱりね、楽しかったよ。
寺:体験学習も、ご来光見ずに撤退しましたよね。
早:うはっはっはっ…。そうやったな。そういう一つ一つの行事を完成することによって自分を作るっていうかね、オレもそうやけど、今でもつきあいよる友達、親友っていうかな、そういうのができるのは高校時代やもんな。大学時代とかではそう見つからんもん。そういう意味では、福高にはね、あの学年にはね、いっぱいそういういいやつがいっぱいおったんやないかな。そして、そういうのも学校に来んことには分からんしね。それに無欠席っていうのは財産やもんな。誇っていいよな。会社入ってもね、行きたくないな~って思っても、「いや、オレは行く」って思えるだろうしね。
寺:先生が担任していらっしゃったクラスはどんなクラスでしたか?
早:そうねぇ、1年のクラスも、2年のクラスもいいクラスやったね。自分で動けるしね。楽しいクラスやったね。自分の教員生活の中でもね、とってもいいクラスだった。まぁ最後の生徒っていうのもあるけどな。2年の時は留学生も来たなぁ。ほとんど英語科の先生がめんどうみてくれて、あとはクラスの生徒達がやってくれたから、オレはほとんど関わってないけどな。日本の文化を学びたいとか言ってな。あの頃は留学生を迎えるっていうのが、まだ一般的じゃなかったから、他の先生達も及び腰でな、うん?ってな。まぁ生徒たちもよく迎え入れてくれたな。
寺:ちなみに先生は英語は?
早:いやぁ、全然。オレは城南の時、修学旅行がシドニーやったったい。2年間。そん時も、最初だけたい。あとはまぁ通訳がおろうが。あれがまぁんなんとかやってくれようが。はっはっは。(笑)
寺:それから、先生にとって学年全体がクラスの生徒みたいな感じだったんですか?
早:いや、そうでもないかな。やっぱりクラスだな。自分のクラスがまとまってないとな、そしてオレを信頼してくれてないとな。クラスの生徒をしっかりとつかんで、把握しておくことが基本だったな。
寺:ですが、クラスも違って、授業もお世話になってない人間にとっても存在感ありましたよ。(笑)
早:まぁある意味、学校の中の校長みたいなところあるからな。あの学年は先生達もようやってくれたもんな。それぞれが自分の得意技、もってる個性を活かして活躍してくれてな。本当なら、あのメンバーでいきたかったな。みんな若かったしな。2年からは年配の先生が、鐘江先生と木下先生が入ってくれたけどな、あの人たちも若い人たちを盛り立ててくれてね。チームワークを大事にしてね。まぁなんでもそうだけど、『教育は人なり』ですよ。人間ですよ。それに君らはちゃんと答えてくれたっていうね。
寺:生徒達っていうのは、それぞれに楽しんでいるように思ってるんですけど、やっぱりそういう先生達がいてくださったから、楽しめたし、希望進路も実現できたしっていうことなんですかね。
早:そりゃね。やっぱだからね、先生達も生徒諸君を信頼するし、生徒諸君も先生達を信頼してくれただろうし、保護者の方も学校を理解して信頼してくれたし、そういうね、3者がいい関係じゃないといけないんだな。
寺:話は変わるんですが、実は私は先生の授業を受けたことがないんですが、先生の授業のポリシーっていうのはありましたか?
早:う~ん、やっぱりな、生徒は朝早くから来てね、部活もあるんだけど、やっぱり教科指導、授業が中心になるからな、今日学校に来て良かった、授業を受けて良かったと、そう思ってもらえるようにっていうのは心がけたな。だから、今日のこの授業では、こういうことをしっかりと分からせるっていうのは考えてやったよな。それは常に自分でも考えてた。「なーんか、あの授業はさっぱりわからん」って言われないようにね。教材研究も毎日しっかりとやって。
寺:先生ぐらいのベテランになってもですか?
早:そりゃ、毎年、生徒は違うからな。そうしとかんと、不安やん。もちろん、数学好きなもんも、好かんっていうもんもおるたい。でも、『早川の授業は分かる』っていうな、そういわれるようには心がけとったな。それが一番の信頼関係の基本やもんな。
寺:私たちの学年は2年まで文系理系が別れてなくって、それこそ数学が好きっていう生徒とキライっていう生徒と、あるいは得意な生徒と苦手な生徒といろいろいて大変だったと思うんですが、いかがでしたか?
早:別にやりにくいってことはなかったよな。あれはあれでよかったんやないかな。福高の生徒の場合、文系でも国立受けるのが多いしな。そして『僕は私立だから、受験にないから勉強しません』っていうような了見の狭い生徒はいなかったと思うしな。逆に2年から分けようと思ったら、1年の夏には進路を決めなきゃいかんったいな。でも、それは早すぎると思うんやな。いろいろ経験して、どんな仕事がしたいかとかな、考えた上で進路を決定するっていうのがよかったんじゃないかな。
寺:もうかなりの時間がたってしまいましたね。なんか、他愛もない話を聴くようなつもりでお伺いしたんですが、先生の教育哲学というか美学をお聞かせ頂いたような感じですね。(笑)
早:いやひっひ。(笑)なんや。なんかね、やっぱ出会いやからね。この先生と出会ったおかげで、だめやったとか、進路を変えざるを得ないとかならんようにね、そういうことは考えとったね。それじゃ申し訳ないからね。生徒は教師を選ばれんわけやけんね。オレと出会うことで何かを得たとかね、そういうのがねあったらね。そういうふうにしたつもりだったね。
寺:そうですね。そういう出会いがあったから進路が実現できたとか、高校時代が楽しかったとかなるんですよね。そして、学年全体で見ても、進路実績が上がったとかいうふうになるんですね。
早:進路っていうところでは、ね。福高の生徒っていうのは、浪人したら「あれあれ?あいつあんなところに受かったったい」っていうのが多いやろうが。どっか余裕があるっていうか。うん余裕持っとったもんな。体育祭でどんちゃん騒ぎしても、あとぴゅっと気持ちを切り替えてやれたしね。いっつも言いよったろうが、博多山傘を例にとってね。追い山終わった日には、もう何にも残っとらんもんね。あれがね、博多の町にある伝統なんだから、ものすごくのぼせていいから次の日から気持ちをぴしっと切り替えてやれって。けじめを付けるっちゅうかな。
寺:では、最後に41回生のみんなにメッセージをお願いします。
早:えー41回生の諸君・・・(生の声をお楽しみ下さい!)

04 あの人は今!?  posted on 2005年07月15日 : コメント (0)

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