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戸川先生は今!?

 「あの人は今!?」のコーナーです。お世話になった先生方が、今、どうしていらっしゃるのかシリーズでお届けします♪

 第1回目は戸川先生です!ご退職なさって、中村学園での講師をお務めになって、インタビュー当時は研修学園で英語の指導をなさっていらっしゃいました。

※2004年に掲載したシリーズの再掲載です。

寺田 (以下「寺」):こんにちは。ご無沙汰しています。
戸川先生(以下「戸」):やぁ。
寺:戸川先生は、私たちが入学した年すでに12年目だったんですよね?
戸:糸島に10年おって、33歳の時に福高に来たわけよ。大学はいるときに1年浪人したから23歳で採用されて、10年、そして福高に33歳の時に。そして27年間。37年間の公立高校におったわけだけど、その27年ね。
寺:先生は、私たちの学年で3年から学年主任をなさったわけですが、それまで学年主任のご経験は?
戸:私は夢にもね、自分が学年主任として送り出すとは思ってなかったからね。責任ある立場っていうのは、それまではね。それまでは野球一筋だったから。学年の一教師として・・・、大した仕事もしてなかったのに、早川先生が偉くなって出て行ってしまわれて、ぱってこっちにまわってきて。(笑)1番最初の学年に対する挨拶も今でもよう覚えとうけど、しどろもどろでさぁ、もう本当に恥ずかしかった。もうあん時は。第2体育館でね。途中で生徒からも笑われたのを覚えてるよ。(苦笑)本当にもう。自分でも情けないなって。後で舛添先生のとこに、すんません、もう下手な話ですみませんって言ったら、「いや言うべきコトはちゃんと言うとった」って慰めてはもらったけど。もうなんか。(笑)
寺:それは先生にとって強烈な思い出ですか?(笑)
戸:いや、本当にね。教員でありながら人前で話すのが苦手でさ。高校時代なんか、人前に出たらもう真っ赤になってしもうてから、何にもしゃべりきりよらんかった。で、そんな戸川が教員になるとやっていわれたもん、先生に。もう、女の子とも話しきらん、ぜんぜん。そやったから、もう・・・。
寺:それは意外な気がしますが・・・。
戸:ほんとに?人前で話をするときは真っ白になるから、必ず書いて話すことしかできなかった。だから他の先生が人前で自由に話をされるのを見て、いっつもうらやましいなって思いよった。保護者会の時なんか、特にそう!(笑)1つ、保護者会のことで思い出があるんやけど、原稿の1枚目が風で飛んでしまっとったわけよ。一応ね、本日はお忙しい中・・・とか挨拶 入るやない。そしてぱっと原稿見たら2ページ目から始まっとうわけよ。(笑)
寺:それは怖いですね。(笑)ところで、先生は3年間男クラだったんですよね。
戸:そう。1-2、2-6、3-10ってね。3年間男クラ持ったのは初めてだったよね。ものすごくよかった。楽だったね。そして、ちょっと言うたら動いてくれるしね。初めて持ったときは「うわぁ、男クラか・・・」と思ったけど、1回持ったら混クラ持てないって感じだったね。最初の1-2は男クラとしてはおとなしかったかな。やめた生徒もいたなぁ・・・。3-10は、応援団の青木がいて、藤浩太郎もおったなぁ!あ、総務の井上も。いろいろおったな。 誠実なやつ、すごくいいやつが多くて…。あのクラスは同窓会に呼ばれてね、藤浩太郎たちにしっかり鍛えてもろうたけど。(笑)荒木先生も一緒に連れて行ってね。私は途中でつぶれてしもうたから、先に帰ったけど「荒木ば残していくけん、かわいがってあげて」って言うてね。そしたら翌日、真っ赤な顔してね、「先生、3時までつきあわされました」って。(笑)
戸:あんたたちの学年はね、生徒とは関係ないけど、昭和が1月6日で終わって平成になったろうが、それでね、調査書を書いてたのを、全部書き直したもんね。あれは覚えとうね。
寺:大学受験の結果は、その苦労に報われるものに・・・?
戸:いやぁどうだったかね?(笑)あんまり、よう覚えとらんよ。それより出席率が高いっていうのが、よく覚えとうね。(笑) 私はね、本当にものを忘れるのが上手でね。すぐに何でも忘れるんよ。
寺:それは、卒業生が突然たずねてきたら恐怖ですね。私も経験がありますが。
戸:本当にね。生徒のルールとしては「○回生の××ですが」って言わんとね。年賀状とかくれたら覚えてるんだけどね。そういうのもなしで、ぽんって言われてもね。(笑)忘れるのは得意だからね。授業中でも、ちょっと横にそれたら「あれ?何の話しよったかな?」ってなるもんね。 元に帰りきらんっちゃん。だから、あんまり横道にそれんっちゃんね。
寺:そういえば、先生の授業は脱線が少なかったような気がしますね。ひたすら一直線に、がんがん進んでいくっていうか。機関車のような、というか。
戸:そうね。脱線するっていうたら野球の話だけね。ダイエーの話とか高校野球の話とか。でも、やっぱりあんまり脱線はしてないかな。初めての生徒には、最初の時間だけは野球の話をしてたかね。県大会に連れて行ったときの話とか。
寺:そういえば、私は1年の時、英語は眞田先生と戸川先生だったんですが、眞田先生も野球部の顧問をしてらっしゃったんですよね。お二人とも野球部の話を・・・。
戸:そういえば、眞田先生もおったよな。あの先生は理事までしてたからね。彼は私の大学の同期なんだよ。年は1こ下よ。私は浪人したから。同級生で福岡県に採用されたのが3人おったんだけど、その中の一人がいっしょになって嬉しかったよ。1年ですぐ偉くなって学年からはずれてしまったけどね。あ、生徒の話からそれたね。(笑)
寺:先生は野球をご自身もなさってたんですか?
戸:中学校時代にね。高校に入ったら、受験が頭にあってね、野球はしきらんかった。卓球をやってみようかと思ったんだけど、1週間でやめてしもうた。(笑)だからね、福高に来て感心したのは「運動するのが多いな」ってことだったもんね。私がもし福高に入ってたら野球やってたかもしれないよね。・・・実際はしきらんかったもんね。
寺:野球部では部長という立場だったんですか?
戸:赴任した時にね、「南海ホークスの大ファンです」っていう話を授業でしてたらね、当時の野球部のキャプテンが相談がありますって来てね、本当はバスケットボール部の顧問になってたんだけど、なんかね、そいつが体育の先生に話を付けてね、突然、野球部の顧問になったんよ。当時は、バックネットも防球ネットもなくて、バッティングの鳥かごだけあってね。でもね、英語よりもずっと面白くなってね。担任と生徒っていう関係はともかく、英語での生徒との関わりはたかがしれとうけどね、野球やったら喜びも悲しみも、ね。初めて夏の大会のベンチに入って時はウワァってのぼせ上がってね。翌年はなぜか監督になってたよ。その後、2年間監督したよ。(・・・その後、20分にわたり当時の思い出を・・・とってもイキイキと話してくださいました!)
寺:私たちの時は・・・?
戸:もう大津先生とかいらっしゃって、副部長だったね。41回生の野球部は野球の成績はふるわなかったけど、面白いやつらが多かったね。長野のスキー旅行の時ん時に、ステージでやったろうが?(といいながら、魚釣りのジェスチャーを・・・ ^^;)役者がおったね。(笑)
寺:まったく話が変わりますが、先生、ご健康の方は・・・。
戸:高血圧でね、血圧の薬はずっと飲んでますよ。
寺:私たちの在学中からですか?私の印象では、姿勢がよくて、勢いがある先生という感じなんですが・・・。
戸:声がばかに大きくて?(笑)
寺:いえいえ。(笑)でも、勢いはありましたよね。しかし、じゃぁご病気はその後?それは学年主任の重圧からですか?
戸:いやぁそれは分からんけどね。でも、学年主任とか経験すると血圧上がるね。みんな。中間管理職を経験すると。(笑)
寺:あぁ、そうですか。まぁでも在学中は、先生はとにかく勢いがありましたよね。あの、オールナイトの補習でもそうだったし
戸:あぁ、そうやったかね。あれはバカなことしたなぁと思ってね。
寺:あれ?そうなんですか?
戸:いやぁ、あの反動で崩れたのがいっぱいおったていう話を聞いてからね。後で考えたらね。でもあれは早川先生がやりたかったことなんよ。もちろん、自分でもいいかなと思ってやったんだけどね。あれはイベントに終わったかなっと思ったね。自分としては自己反省したんよね。
寺:あの合宿の翌朝、食堂で朝ご飯の前に、先生からお話があったんですが、先生はやけに晴れ晴れとした顔で「どうでしたか?初体験は?」ってな話をなさいましたよね。うぶな高校生としては「初体験」っていう言葉でドキドキしてたんですが(笑)、それより、この先生、なんでこんなに元気なんだって・・・。晴れ晴れとした顔してるし。
戸:いやぁ覚えてないな。(笑)でも、あれで盛り上がったよな。学年全体も。そういえば、元旦プレテストも、あんたたちの学年やったよね。あれも早川先生の意志やったんやけど。熊谷先生が強烈にやろうって言うてね。
寺:学年団の先生方はどういう雰囲気でした?
戸:僕はもうチームワークが大事だと思ってたけどね。そのまとめ役が岩熊先生だったね。影の学年主任みたいな。 あの先生が本当によく動いて、は足りてくれてね。学年集会では、僕が話をしない日があっても、岩熊さんが話をしないことはなかったね。進路関係になると熊谷さんね。あと、若手の数学の二人…石川さんと犬塚さんがね。いっつも夜遅くまで仕事してくれてね。ちょっと言ったら、ぱっと仕事をしてくれてね。全体として、わりかしチームワークはよかったんやないかな。
寺:学年集会といえば、先生!留学生のラフレーが来た最初の挨拶の時、武道場から逃げ出しましたよね?(笑)
戸:そう、あん時ね、岩熊さんがなんか言ってくれってね。(笑)結局、岩熊さんがやってくれたよね。いや、さっきもあったけど、ちゃんと準備をしてないとね、固まってしもたら何にもできなっていうか。何でも そうやけど、準備して準備してするタイプやから、ぱっと来たとき困るわけね。臨機応変に動ききらんというか。授業も同じだけどね。
寺:もうずいぶんと時間がたってしまったんで、そろそろ最後にしなければいけないなって思うんですが、ご退職なさった後は中村学園に、2年間いっていらっしゃったんですよね?福高とくらべてどうでしたか?
戸:そうねぇ、どっちも善し悪しあるね。生徒指導は・・・厳しかったね。基準とかもね、一人一人体育館に並ばせて、2時間とかかけて検査するしね。勉強もね、特進以外は定期考査前以外は勉強しないしね。大学受験でも、なんもかんも時間かけて解説しないといけないしね。初めて西南・福大の過去問を真剣に解いたよ。(笑)まぁでも勉強以外ではいい子が多いわけよ。離任の時にわざわざ色紙を書いて持ってきてくれたりね。
寺:勉強でも、生徒指導上でも、ほとんど放し飼いでよかった福高で27年間も過ごされたわけですから、ある意味カルチャーショックだったでしょう?
戸:いや、もちろん、覚悟はしていったよ。でも、聞きしにまさるって感じだったね。2年目の夏頃に、研修学園から声がかかってね。いろいろ思うところも多かったから、2年で身を引いて。
寺:担任はなさったんですか?
戸:いや、それはなかったよ。担任はね。女子校で性教育とかもせないかんしね。(苦笑) この4月からは、また研修学園で働かせて頂いてますよ。
寺:では、先生、最後に・・・。来年の同窓会はお越し頂けますでしょうか?
戸:それは何とか予定あけんといかんね。
寺:では、このインタビューを読んでくれる卒業生にメッセージをお願いします!
戸:えぇーでは。41回生の諸君・・・(←音声が入っています。クリックして「開く」でどうぞ!)
実は、2時間に及んだこのインタビュー。すごくたくさんの個人名があがって、たくさんのエピソードと思い出話をお聞かせ頂いたのですが、あまりにもたくさんありすぎたのと、まぁプライバシーもあるでしょってことで、カットさせていただきました。その上で、編集してつないでいます。どうぞご了承ください。そして、戸川先生、お忙しい中、お昼ご飯も忘れてお話くださり、本当にありがとうございました!

04 あの人は今!?  posted on 2005年07月14日 : コメント (0)

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